厚生労働省の令和5年就労条件総合調査では、退職給付制度がある企業は74.9%でした。対象は常用労働者30人以上の民営企業で、小規模事業者を含む全企業の割合ではありません。制度がある企業を100とすると、退職一時金だけが69.0%、退職年金だけが9.6%、両方の併用が21.4%です。比較したいのは、この名称の違いが会社と従業員の財布へどう表れるかです。
退職者へ1,000万円を渡す約束でも、退職日に会社の現金から払う一時金、会社側が運用して給付算定式を守るDB、掛金を個人口座へ拠出して本人が運用するDCでは、同じ1,000万円ではありません。会社の資金繰り、従業員の転職、物価上昇、運用損失の負担先が変わります。
退職一時金・DB・DCの選択は、福利厚生の豪華さではなく、退職日、運用不振、転職、長寿という四つの変動を会社と従業員のどちらが引き受けるかを決める仕事です。
本記事は2026年9月5日に、厚生労働省、国税庁、企業年金連合会の公開資料を確認して作成しました。制度導入、規約変更、会計、税務、労使手続は会社の条件によって異なるため、年金数理人、社会保険労務士、公認会計士、税理士、弁護士へ個別に確認してください。
最初に給付の約束を一枚へ書く
五つの雇用・退職モデルで権利と受取時期を比べます。
制度選定の前に、22歳入社、35歳中途入社、45歳退職、60歳定年、65歳まで継続雇用という五人のモデルを作ります。それぞれについて、会社都合と自己都合、死亡、休職、出向、転籍が起きた時の給付、権利確定、支払時期を書きます。平均勤続だけで設計すると、実際に増えている中途採用者の受取像が抜けます。
同じ「退職金2,000万円」でも、金額が規程で確定する時点と現金を受け取る時点は別です。転職日に受け取れる一時金、年金開始まで待つDB、原則60歳まで引き出せないDCを、従業員が自由に使える現金として同列に並べないようにします。
人事は採用競争力を、財務は毎年の費用と現金を、経理は退職給付債務を、従業員は手取りと持ち運びを見ます。一つの説明資料で四者へ同じ利点だけを語ると、制度変更後に認識差が表面化します。企業型DCのマッチング拠出とiDeCoも含め、会社掛金と本人掛金を分けて表示します。
比較表の最初の列は期待利回りではありません。退職・転職・死亡・休職の各時点で、誰に何円の権利が残り、いつ現金化できるかです。
退職一時金は単純でも支払日へ現金が集中する
平均額ではなく退職集中年の資金を見ます。
社内準備の退職一時金は、給与、勤続年数、ポイントなどの算定式を会社規程で管理し、退職時に支払います。従業員は受取額を理解しやすく、住宅ローン返済や転職期間の生活費へ使いやすい一方、会社は退職者が重なる年の資金を用意しなければなりません。
令和5年調査では、退職一時金制度がある企業の支払準備形態は社内準備56.5%、中小企業退職金共済42.0%、特定退職金共済9.9%でした。複数回答なので合計は100%を超えます。社内準備を採用したから積立口座が自動的に存在するわけではなく、帳簿上の費用と支払える現金を分けて追います。
年間20人の退職を想定して一人平均800万円なら、平常年の支払は1億6,000万円です。事業撤退で60人が同じ年度に退職すれば4億8,000万円になります。退職給付規程を守れても、運転資金を圧迫して仕入や給与へ影響すれば制度は持続しません。
算定式も「最終給与×勤続年数」だけでは、昇格直後の給付増、非正規から正社員へ転換した期間、休職期間の扱いが見えません。ポイント制なら、役割、勤続、評価の各ポイントと単価を公開し、評価結果が退職給付へ二重に効いていないかを検証します。
退職一時金のリスクは平均支給額ではなく、退職者が集中する悪化年の現金流出です。人員削減を行う年ほど支払額が増える逆方向の資金需要を見ます。
DBは給付の安心と積立不足を同時に持つ
会社が引き受ける追加掛金まで計画します。
確定給付企業年金は、労使が合意した規約に基づく給付算定方法を先に決め、事業主や基金が資産をまとめて運用します。加入者が毎日の相場を選ばなくても受取見込みを立てやすい点が強みです。キャッシュバランスプランのように、個人別の仮想勘定と指標に連動する利息を組み合わせる設計もあります。
給付算定式を守る責任は、運用環境が悪くても消えません。厚生労働省の説明では、DBで積立不足が生じた場合、事業主が追加掛金で不足を埋める必要があります。金利低下で債務評価が増える場面、資産価格が下がる場面、退職が集中する場面を別々に試算します。
期待運用収益率を高く置けば当初掛金を軽く見せられても、実績が届かなければ後年へ負担を送ります。年金資産の構成、予定利率、掛金見直し条件、積立水準、給付支払の現金を取締役会へ同じ周期で報告します。制度運営を金融機関へ委託しても、母体企業の説明責任は外へ移りません。
物価上昇にも注意が要ります。名目額が約束どおりでも、20年後の購買力が同じとは限りません。給付へ物価連動を入れるなら会社負担が増え、固定するなら従業員が実質価値の低下を受けます。「確定給付」という名前だけで老後生活の実質額まで確定したと説明しません。
給付額だけでなく、運用不足、物価、長寿、途中退職の負担先を分けます。
DBが従業員へ与える安心は、会社が運用と給付の差を引き受けることで成立します。積立不足時の追加掛金まで資金計画へ入れて初めて比較できます。
DCは会社の掛金を確定し従業員へ選択責任を渡す
運用リスクと投資教育を一組で評価します。
企業型DCは、事業主が拠出する掛金と加入者本人の運用成果によって給付が決まります。個人別に資産が管理され、転職時に一定の制度へ移換できる点は、雇用移動が多い会社で分かりやすい利点です。運用が低調でも会社の追加拠出は原則生じない一方、従業員の残高は小さくなり得ます。
掛金を月2万円で固定すると、会社は将来の支出を予測しやすくなります。しかし20代の新入社員と定年5年前の中途社員へ同額を出すことが、公平な退職給付になるとは限りません。給与比例、年齢、等級、勤続を使う設計は説明可能性と差別的取扱いを点検します。
従業員は商品を選び、配分を変え、価格変動を受けます。元本確保型へ全額置いたままの人と分散投資する人では、同じ会社掛金でも受取額が変わります。厚生労働省は加入者への投資教育を事業主等が行うとしており、制度説明会を一度開くだけで運営を終えません。
商品数を増やせば選びやすいとは限りません。手数料、資産区分、リスク、運用実績、指定運用方法、商品除外時の手続を比較し、選べない人が放置される割合を測ります。投資教育では受講率に加え、運用方法の未指定や転職時の未移換が減ったかを集計します。商品の配分が本人の意図に合うかは本人が判断できるよう支援し、会社が個人の口座を監視したり売買を指示したりする運営にはしません。
DCは会社がリスクから降りる制度ではありません。給付額の運用リスクは本人へ移っても、商品選定、投資教育、記録、離転職時案内の責任が会社に残ります。
従業員の受取画面では税と時間を分ける
今日使える金額と老後まで動かせない金額を分けます。
国税庁は、退職により支払われる一定のDB・DC一時金を退職所得として扱う条件を示しています。年金で受け取る場合は公的年金等控除、一時金では退職所得控除が関係しますが、同じ年や近接年に複数の退職手当を受ける場合は計算が変わることがあります。
会社の説明画面へ「税制優遇」とだけ書かず、拠出時、運用時、受取時の三段階を分けます。手取り試算は年齢、勤続・加入期間、他の退職金、公的年金、受取方法を入力し、制度改正の確認日を表示します。税額を会社が保証する表示は避け、個別条件は税務専門家へつなぎます。
DCは老後資産形成を目的とし、中途引出しが原則として認められません。40歳で転職した従業員が生活費へ使える一時金と、60歳以降まで動かせないDC残高は役割が違います。全額DCへ移行すると、転職直後の生活再建資金が消える人もいます。
離転職時の移換手続を忘れると、本人が意図した運用が止まり、手数料が差し引かれる場合があります。退職案内は制度名だけでなく、移換先、期限、問い合わせ先、必要書類を個人へ渡し、受領を記録します。会社員から独立する際の手取りと保障を考える人には、当面資金と老後資産を混ぜない説明が必要です。
従業員には制度名より、いつ・いくら・何をすれば受け取れるかを示します。
従業員向け明細は会社負担額の一覧では足りません。退職した今日使える金額、60歳まで動かせない金額、移換が必要な金額を分けます。
一制度ではなく三つの役割へ分ける
流動性、基礎給付、運用上積みを設計します。
若い会社が一時金だけを採用すると、成長後の退職集中が資金繰りを圧迫します。DBだけに寄せると、給付の安心と引換えに長期の積立・運用責任が残ります。DCだけに寄せると、会社負担は予測しやすくても、投資判断が苦手な人と中途の生活資金へ弱点が出ます。
一例として、退職給付の20%を退職時に使える一時金、30%を勤続に応じたDB、50%をDC掛金へ分けます。これは推奨比率ではありません。会社の年齢構成、離職、資本、労使ニーズを見て、三つの役割を設計する考え方です。
製造現場で勤続が長く定年退職が多い会社と、専門職が5年程度で転職するIT会社では、同じ比率になりません。前者はDBの予見性が採用・定着へ効く場合があり、後者はDCのポータビリティが理解されやすい一方、入社年齢による掛金差を点検します。
制度変更は既得権、過去勤務期間、給与規程、労働条件に影響します。新入社員だけ新制度にする、過去分を凍結して将来分だけ変える、選択制を設けるなど移行案ごとに、従業員の不利益、事務、会計、説明の差を比較します。
併用の目的は制度を豪華に見せることではありません。退職直後の流動性、老後の基礎給付、自分で運用する上積みという異なる仕事を一制度へ無理に背負わせないことです。
10年の悪化シナリオで会社側を試す
退職集中、運用不振、物価上昇を別々に試します。
人員計画を基準、成長、縮小の三本にし、年齢別の退職見込みを置きます。賃金上昇率、離職率、定年延長、予定利率、運用収益、インフレを一つずつ悪化させ、退職一時金の現金、DB追加掛金、DC掛金、管理費、投資教育費を10年で並べます。
制度移行費には、規約、従業員説明、労使手続、データ整備、委託先選定、給与連携、移換、問い合わせを含めます。月額管理料だけで比較すると、移行初年度の人事工数と誤登録対応が消えます。従業員持株会と併用する場合、老後資産まで自社業績へ偏らないかも確認します。
取締役会へ出す表は、最良予測の費用だけでなく「追加拠出が必要になる条件」「一時金支払が営業キャッシュフローを超える条件」「DCで未選択者が増える条件」を示します。制度ごとに撤退・見直しの兆候を決め、毎年同じ前提を更新します。
従業員側の悪化シナリオも必要です。転職が3年早い、相場が受取直前に下がる、インフレが続く、移換を忘れる、長生きする場合に、受取時期と金額がどう変わるかをモデル明細で見せます。
導入の合否は説明後の理解で決める
従業員が自分の行動を説明できるか確認します。
制度案を若手、中途、管理職、定年間近、休職者、外国籍社員へ説明し、自分の受取見込み、運用主体、転職時の手続を本人の言葉で説明できるか確認します。専門用語の試験ではなく、生活上の判断に使えるかを見ます。
比較候補へは、制度設計、資産管理、記録管理、投資教育、問い合わせ、退職移換、障害対応の担当を分けて質問します。販売提案の利回りだけでなく、誤った加入情報を何日で直すか、退職者が期限直前に相談できるかを評価します。
制度開始前の事務リハーサルでは、架空の加入者データで給与連携、掛金変更、休職、復職、退職、移換案内まで通します。承認等が済む前に実際の掛金を動かす試行ではありません。本人ポータルの使いやすさ、問い合わせ待ち時間、説明資料の言語も確認します。制度開始日に掛金が送れたことは、退職給付の運営完成を意味しません。
最後に、会社の約束、毎年の資金、悪化時の負担、従業員の行動を一枚へ戻します。最も高い想定利回りではなく、会社と従業員の双方が不利な年にも説明と支払を続けられる組合せを選びます。
退職する日に制度の答えが出る
会社と従業員の双方が不利な年にも続く組合せを選びます。
退職一時金は退職直後の資金に使いやすく、会社は支払集中へ備えます。DBは給付算定の予見性を与え、会社側に運用・積立不足の責任が残ります。DCは掛金を予測しやすく資産を持ち運べる一方、従業員の運用と会社の投資教育が制度価値を左右します。
三制度の優劣を一つの利回りで決めません。退職・転職・運用不振・長寿の場面を通し、受取時期、権利、負担先、必要な行動を比べます。
退職日には制度名ではなく、支払額・入金日・移換期限が必要です。会社の資金表と本人の手続案内がつながっているかが、最後の点検になります。
参考情報
制度、税務、統計、投資教育の一次資料です。
以下は2026年9月5日に確認した一次情報です。
よくある質問
気になる質問を開くと、本文の重要点を短く確認できます。
Q退職一時金、DB、DCはどれが一番得ですか?
A一律には決まりません。一時金は退職直後の流動性、DBは給付算定の予見性、DCは個人別管理と持ち運びに強みがあり、会社と従業員が負う運用・資金・長寿リスクが違います。
QDBで運用損が出たら従業員の年金は減りますか?
A一般的なDBでは、運用損だけで給付額が自動的に減るわけではありません。積立不足には追加掛金等で対応し、給付減額を伴う変更には法令上の理由・手続・同意等が必要です。リスク分担型など設計の違いもあるため、加入制度の規約と財政報告を確認します。
Q企業型DCなら会社の責任は掛金を払うだけですか?
A掛金に加え、規約、運営管理機関・商品の選定、加入者への情報提供と投資教育、記録、離転職時の移換案内などの運営責任が残ります。
QDCの残高は退職時にすぐ使えますか?
A老後資産形成を目的とするため、原則として60歳前の中途引出しはできません。退職後は移換手続が必要になるため、生活資金とは分けて考えます。
Q退職金を一時金と年金のどちらで受け取ると税金が安いですか?
A勤続・加入期間、他の退職手当、公的年金、受取時期で変わります。会社の一般例だけで決めず、本人の受給年を含めて税理士などへ確認します。
Q三制度を併用する意味はありますか?
A退職直後に使える資金、老後の基礎給付、自分で運用する上積みを分けられます。ただし制度が増える分、管理費、説明、給与連携、移換事務も増えるため総額で判断します。